昨日の続きです。
「5年も続けてきたんだし、もうちょっとすれば子どもたちもやってて良かったって思える日が来るかも」
という期待とともに
子どもたちがやめたいと思っている習い事を続けてきた母かの子。
昨日はサラッと書きましたが、
大切なことなので再度おさらいです。
自分のことではないのに相手に
「○○させたい」
という想いが出てきて、それに対して
自分がイライラしたり(相手が言うこと聞かない)、その想いを持っていて自分が何か引っかかるものがある場合、
その「○○させたい」という想いの根っこに何があるか、
というのを注視するのが効果的です。
そもそも、コントロールできない相手を「○○させたい」と思うこと自体、
「何のためにさせたいのか?」
という目的論で考える必要があります。
この目的論のアプローチは、
問題は相手にあると思い込んでいたのに
「実は自分の問題だった」
ということに気づくきっかけをくれます。
コントロールできない相手を動かしたくなった時は
「何のために○○させたいの?」
と自分自身に聞いてみてあげてください。
ここでポイントは、
「(〜に)させたくない」
というような相手に何かをさせる使役形で考えるのではなく
「(わたしは)したくない」
という登場人物が自分のみで完結する文に変えるということ。
わたしの場合だと、
「何のために子どもたちにその習い事をやめさせたくないの?」
↓
「何のためにわたしは習い事をやめたくないの?」
or
「何のためにわたしは習い事を続けたいの?」
(肯定形に変えるのもgood)
つまり話の文章に相手役をあえて外し、
自分の選択だと考える、ということです。
「させたくない」を使うと
(本当は)コントロールできないものを動かそうとする葛藤や大きなパワー(労力)を感じますが、
「したくない」を使うと
それまで感じてた大きな労力が大幅に少なくなります。
相手を動かそうとしているけれど、
実は、動きたいと思ってるのは自分。
相手は動きたいと思っていないかもしれないしね(*^_^*)
こうして話の内容は相手に関することだけど
それも自分の選択だと捉えることで
「自分のことならコントロールできる」
と考えられます。
この「何のために○○させたいの?」と自分自身に問うことは、
「自分のニーズを思い出させる」または
「気づいていなかった自分のニーズを認識する」ということでもありますね(*^^*)
ここまで書いたら時間になってしまいました。
まだ書きたいポイントがあるので、続きは明日書きますね〜*(^o^)/*
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