どうやらエネルギーが有り余っていたようです(*^^*)
(ベトナムのファンティエットの海。開放的だったな♪)
昨日、一昨日は熱血かの子先生でした(*^^*)
伝えたいことが溢れてくる状態のことね。
その熱血かの子先生を経て
自分が100ないし、100に近い状態で生きていないと
妬み僻みが出てくるってことが分かりました(笑)。
そうなんですよ、
愚痴も一緒ですね。
自分がやりたいこと、好きなこと、
大切な人を大切にできてないと、
(例えばケンカばっかりとか)
愚痴や妬み僻みが口からこぼれることがあります。
アドラーの目的論で考えると、
愚痴や妬み僻みの目的は(何のためにやってるのか)、
究極のところ自分を守るためだったりするのですが、
単に消化できないエネルギーを発散させる、
という役割で愚痴や妬み僻みを使うこともあるんですね。
え〜わたしの場合はですね、
口には出さないんだけど心のどこかで
「いや、わたしなんてまだまだやからこの位でいいわ」
(以下、さげ子)
とか自分の価値をさーーーげーーーてーーーたーーー(゚Д゚)!
あかんあかん!!!
これまた心の違う部分で
「いや、わたし、もっとできるで!」
(以下、あげ子)
って思ってるという存在を感じてるだけに
これまたさげ子を見て見ぬふりしてたことに気づいたという(笑)。
体調やその時の状況によっても変わるんだけど、
さげ子のパワーがあげ子を上回ったときに、
見て見ぬふりという強行突破をしてしまうわけです。
さげ子の気持ちも、あげ子の気持ちも解るだけに
(だってどっちも自分やしな!)
二人のご機嫌をとるために愚痴や妬み僻みを使ってるんですよーーー(´Д` )
堂々巡り、ってこのことね。。(笑)
じゃあ、どうすればいいのか。
さげ子をなだめ、よしよしし、(承認)
あげ子に「じゃあできるところからやってみよか!」
と声がけしてあげる。
というのも、
あげ子の主張を聞いてあげることが、
さげ子の笑顔に繋がることが多いから。
この二人は、共存しててもいいんやと思うわけです。
以前の記事にも書いたように、
劣等感(さげ子)はバネにできるからね(*^^*)
というわけで、
熱血かの子先生を発動させてすっきりです♪
(優越コンプレックスとは別物。これに関しては、また改めて♪)
今日は病院で定期検診。
ここは、
生きていることに、改めて感謝するところです。
100で生きようと、
初心を思い出させてくれる場所。
あなたは今、何%で生きていますか?(*^^*)
この質問は、人生を豊かにしてくれますね♪
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