「嫌われないように無難に」が遠慮を生む




ある方のFacebook投稿を見てハッとしたの。



(直ぐそこに青空があるのに、「嫌われないように」って雲隠れしてた心境とリンク(*^^*))



その方の投稿には、
「今やってることを本気100%やってるとこうなった」
というニュアンスを書いてました。




文章からもものすごい前に進むパワーを感じるとともに、
それに加えて真剣に、本気で楽しんでるんやな、
ってことが大きく伝わってくる感じ。




なんかね、雷に打たれたくらいの衝撃だったの。




わたしには目指す社会があって、
本当に大好きと思える仕事があって、
大好きな人たちがたくさんいて、
尊敬する人たちがたくさんいて、
それを「ちゃんと表現してる “つもり” になってた」
ってことに気づいて(≧∇≦)!




“つもり” やったんか〜い!(笑)




自分の講座の中では本気で話して表現してるんだけどね、
その他の公の場とかブログ、Facebookなんかでは
まだ遠慮が勝ってるな、と。






ここで言うところの遠慮って何かって言うとね、
「嫌われないように無難に記事を書こう」
っていうことやね。←自分考察




もっと言うならば、講座の中でも
受講生さんとの関わりの中でまだちょっと遠慮があるなって。




相手を傷つけてしまうんではないか、
って心配が遠慮に繋がるんだけどね、
これはね〜、わたし自身が傷つくのを恐れてるからなんですね〜。




「相手の傷は、わたしの傷」
みたいな思い込みがあって、さらに
「人に必要とされたい」
という願望があるので
相手を傷つけて自分が必要とされなくなることを
無意識に恐れてたんですね(*^_^*)




こんなにも長くアドラーやってるのに
(勉強期間を合わせたら7年!)
基本を忘れることってあるんです(*^_^*)





アドラーの考え方を本気で伝えて
受講生さんと一緒になって本気でワークに取り組んで
いつも共同体感覚(つながり感覚)の中にわたし自身がいたら
相手を傷つけることなんてないのにね。




何かで傷つけてしまったとしても、
それは必ず修復できることで、
アドラーの考え方を実践するならば
その「傷ついた」ということはその方の学びの中にあるもので
その方が本当のところに戻っていけるきっかけでもあるのにね。




ということは、視点を変えると
学びのきっかけを奪うことにもなっているってこと。




あかんやん!!!
講師として!!!




あかん!!!
目覚めてしまったから、
これからは本気100で受講生さんにぶつかっていく!!!




決めた!!!




深く表現していくし、
本気で向き合うし、
本気で学び合う!!!




覚悟しといてや〜〜*(^o^)/*




目覚めさせてくれたあの方の投稿に心から感謝です(*^^*)




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