②自分の人生を引き受ける判断基準は?

(何があっても明けぬ夜はない♪そらはいつも勇気づけてくれますね♪)




昨日の記事の続きです。




アドラーは、

劣等感を

「健康で正常な努力と成長への刺激」

だといい、劣等感を抱くことは

人間にとって当たり前だとしました。



ただ、

その劣等感を建設的に捉えるのか
(例えば、暴力をふるう親を反面教師と捉える)

非建設的に捉えるのか
(暴力をふるうのは、親から受けてきたから仕方ないと捉える)

によってその人の人生が大きく変わる。



建設的に捉えるのか、
非建設的に捉えるのか、

自分の人生は、自分で決めることができます



これを、アドラーは
「自己決定性」
と呼んでいます。



そんなわたしたちが
建設的or非建設的の自己決定をする時に

自分の中で採用している判断基準があるのですね。
(昨日のお話はここまで)



多くの人が普段取っているのが

良いか悪いか、
好きか嫌いか、

といった二元的な判断基準。



この判断基準は、複合的に採用されることもあります。

1.良くて、好きなもの
2.良いと分かってるけど、嫌いなもの
3.悪いとわかってるけど、好きなもの
4.悪くて、嫌いなもの



1〜3に関してはいいけれど、
(個人の自由もあるので)

4の悪くて、嫌いなものは、
時によって
行き過ぎた行動(個人や集団でとことん排除するような)になることもあります。




ちょっと想像してみてください。




わたしたちは、

どんな社会で暮らしたいのでしょうか?




多くは安心感の中で生活したいと思っているのでは?



そんな安心感のある社会を創るのに
アドラー心理学がとっている判断基準が、

「自分や他者を含む共同体にとって

建設的(ユースフル)か

非建設的(ユースレス)か」

というもの。




そう、この判断基準は、

「良いか、悪いか、好きか、嫌いか」

を超えたところで、

自分や他者にとって心地いいものなのか

に重点を置いているのですね。




ポイントは、

自分、他者にとって
心地いいと感じるポイント(落とし所)
をどのように見つけるかというところ。


自分だけ、や
他者だけ、

が心地いいものではいずれ歪みが起こります。




相手との違いを認めつつ、

本当の本当は、
どういう生活、人生を歩みたいのか。




この姿勢は、

どんな境遇にあろうとも

劣等感を建設的に捉える、という

「自分の人生を引き受ける」

こと。



いいんです、幸せになって。




非建設的な態度をして幸せになったかな?

それって安心できたかな?

安心感も得られないし

いまいち幸せも実感できなかったとしたら、

もしかすると

建設的な態度に切り替えるいい時期かもしれませんね♪




建設的な態度は
今までの行動パターンと逆だから
難しいかもしれません。




まずは、

「どんな生活・人生を送りたいか」

を心に聴いてみてください。




コツは、恥ずかしくても

正直に。




自分の人生、幸せにしてあげられるのは、
自分です♡









0コメント

  • 1000 / 1000